Memo Block, Drawing Pad

カタログやパンフレット等の製本加工、オリジナル文具の企画・製造・販売

株式会社伊藤バインダリー   View Company Info

パリで開催される「メゾン・エ・オブジェ」は、家具、装飾品、雑貨などのインテリアデザインに関する国際見本市として、世界一の規模と権威を誇る。年2回開催されるその見本市には、1回につき3000社以上の出展者、8万5000人を越える来場者が詰めかける。世界中から訪れるバイヤーの買い付けにより、動くお金は数億円。出展者は主催者の厳しい審査をパスしなければならず、出展することだけで、大きなステータスを得られることになる。
2013年1月の「メゾン・エ・オブジェ」の会場一角。「If you wish to jot down your inspiration.(感性を描きとめたい人へ)」と装飾されたブースに、多くのバイヤーが訪れた。展示されていたのは「ドローイングパッド」と「上質メモブロック」の文房具2品。出展者は従業員9人の、東京の下町にある町工場だった。

家業に将来はあるのか?

本や雑誌、カタログを作るには、紙葉を順序正しくまとめて本の形にする「製本」という工程が欠かせない。しかしながら、この「製本」だけを専門に行う「製本業」という業種があることは意外と知られていない。

東京の下町墨田区で1957年から製本業を営む伊藤バインダリーは、カタログや製品マニュアルなどの商業印刷物の製本を得意としている。
出版不況の煽りで、業界環境はかつてない厳さが続く。伊藤バインダリー3代目にあたる常務の伊藤雅樹(39歳)は、家業の行く末が心配でならなかった。

伊藤バインダリー2_w700「そもそも、こんな地味な業界に入るつもりはなかった」。伊藤は言う。小さいころから工場の製本機の音を聞いて育った。家業は忙しく、どこにも遊びに行けない。工場界隈は町工場が多く、街は作業着のおっちゃんばかり。スーツにあこがれていた。そんな家業から遠ざかるように、高校からジャズバンドにはまり、大学ではバンド中心な生活だった。楽器はラテンパーカッション。夜な夜なライブハウスや綺麗なお店で演奏し、映画のチョイ役にも出演した。楽しかった。最高だった。
1996年に大学を卒業。家業に入る気は更々なく、中堅の印刷会社に入社した。父親も何も言わなかった。印刷会社では営業職に就いた。あこがれのスーツを着て通勤する毎日。夜は仲間一緒にトレンディードラマに出てきそうなお店で飲んだ。毎日が刺激的だった。

ところが5年もすると、あれだけあこがれていたスーツも作業着に見えてきた。印刷会社の営業で顧客を訪れていても、製本のことが気になる。
俺にはやっぱり家業がすりこまれていたんだな・・・・。伊藤はスーツを脱ぎ、家業に入った。27歳の時だった。
入社から5年は、現場に入った。毎日が作業に追われる忙しい毎日。景気に影響はない業種だと思い込んでいた。
32歳で役員になり、経営全体を見るようになった。すると、現場では感じない違和感を持った。数字がよくない。仕事もじわじわと減ってきている。
ネットの普及による印刷物の減少を肌で感じた。オレの会社、このままではどうなっちゃうんだ…‥? 考えると不安で眠れなくなった。Memo block M257BK_w700

そもそも製本業は、作業指示に忠実に業務を行うことだけが要求される完全下請け稼業。お客さんの景気をモロに受ける業種だ。そこから脱するには、自分で市場を切り拓けるようなオリジナル製品が必要だ。どうせなら、自分たちの思いを込め、直接消費者に届けられるような製品を俺は作りたい。
伊藤は動き始めた。2008年頃だった。

オリジナル製品をつくる  ある経営者塾で「従業員一丸となって改革」することを学んだ。まずはそれを実践だ。従業員に呼びかけ、毎月1回新規事業の勉強会を行った。従業員は今までそんなことを一度もやったことがなかった。最初はペンも持ってこないし意見も出ない。とても勉強会にならなかった。でも伊藤は熱意をもって続けていくと、色々とアイデアが出始めた。ある現場の従業員は、紙片で小さな下駄を試作してきた。アクセサリーになるかもしれない。

img04その年の暮れに、墨田区役所の働きかけで、松田朋春(当時48歳)という地場産業を応援しているプランナーが、伊藤バインダリーにやってきた。伊藤は松田に下駄の話をすると「全て白紙にもどしましょう。」と一刀両断された。商品開発は、誰にどういった目的で使ってもらうかを明確にし、伝えたいストーリーがなければ、ただの自己満足で終わる。そう簡単にオリジナル製品などつくれない。
その年の暮れに、墨田区役所の働きかけで、松田朋春(当時48歳)という地場産業を応援しているプランナーが、伊藤バインダリーにやってきた。伊藤は松田に下駄の話をすると「全て白紙にもどしましょう。」と一刀両断された。商品開発は、誰にどういった目的で使ってもらうかを明確にし、伝えたいストーリーがなければ、ただの自己満足で終わる。そう簡単にオリジナル製品などつくれない。
松田の指導のもと、伊藤と従業員は一からやり直すことにした。

松田からは「作りやすくて、使いやすいもの」というコンセプトを植えつけられた。伊藤バインダリーには、紙を裁断して束ねる製本技術がある。これを活かしてシンプルでおしゃれな商品ができないか? そういえば、昔余った端材でメモ帳をつくって、近所によく配っていた。それが伊藤バインダリーの文化の一つなんじゃないか?img05

そして伊藤たちは、「ドローイングパッド」と「上質メモブロック」に行き着いた。2009年6月頃だった。
「ドローイングパッド」は、ダンボールの古紙を原料とするボール紙を台紙とし、綴じ部分には切り取りミシン加工が施され、切り取ると定型サイズ(A6・A5・A4・B4・A3)となる。アイテムにこだわる建築家やデザイナーが現場でデッサンをするものに最適だ。
「上質メモブロック」は、同じくボール紙を重ね合わせ、本文と糊で固め合わせた加工したもので、側面から見る台紙と本文のコントラストが美しい。広いスペースに置いても際立つデザインから、ホテルなどのフロントカウンターに置かれると抜群に映える。
どちらも伊藤バインダリーの文化を注ぎ込み、材料の選定から最終工程の仕上げまで、製本職人が一冊ずつ丁寧に仕上げた製品。使い手の「書く」こと、「描く」こと、そのひとつひとつがドラマチックになるように演出してくれる。伊藤の思いが結実した瞬間だった。
世界を舞台に展開する両製品は2009年の11月から販売を開始。翌年、日本で最も権威のあるデザインの顕彰「2010年度グッドデザイン賞」を受賞。
国内30店舗以上で取り扱われるようになり、また日本の大手ブランドとの取り引きも始まった。道が拓けてきた。

img062011からはニューヨーク近代美術館での取り扱いが開始。2012年には「メゾン・エ・オブジェ」のJETROのジャパンブースで合同出展。そして2013年に「メゾン・エ・オブジェ」の単独ブースでの出展を実現させた。手応えとともに、フランスをはじめ欧米、アジアでの販売が始まった。
軌道に乗り始めた伊藤バインダリーの新規事業だが、「ビジネスとしてはまだまだ」と伊藤は言う。本業の製本業はあいかわらず厳しい。
新規事業も、一歩進むと壁、乗り越えて進むとまた壁、である。自分の会社の行く末はあいかわらず不安だ。
でも、今の伊藤には以前の自分には見えていなかった明るい未来が見える。今後も新しいオリジナル製品を開発し、日本だけに留まらず世界を舞台に展開している伊藤バインダリーの姿を。

株式会社伊藤バインダリー

業務内容 : 製本業
住所 : 東京都墨田区本所2-16-9
電話番号 : 03-3622-8826
FAX : 03-3622-8893
代表者 : 伊藤敏夫
創業 : 1957年
従業員数 : 10名
オフィシャルサイト : www.ito-bindery.com
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