Mobile Communication Equipment Products Maker

移動体通信用計測機器、通信用半導体の開発、製造、販売

株式会社エイビット  View Company Info

あのPHS(Personal Handy-phone System)が、かつて日本が国家の威信をかけて開発した”日の丸技術”であることをご存じだろうか。

日常的な移動通信手段としては、携帯電話との覇権争いに敗れた感があるPHS。携帯電話と比べると、基地局からの通話可能範囲が狭く、通話が切れやすい。しかし、コストや手軽さ、省電力などの点では優れており、病院や企業の内線電話、自動販売機や監視システムの遠隔管理通信手段、非常時における通信手段などには、今なお広く活用されている。また、基地局の設置費用が1億円を超える携帯電話に比べて、PHSは20万円程度と安く、手ごろな通信技術として、アジアを中心に海外でもかなり普及している。

PHSの開発は、1990年代前半に郵政省(現総務省)が肝いりで立ち上げた研究会がベースとなった。この研究会のメンバーには、”日の丸技術”を実現するために郵政省が選りすぐった、そうそうたる大手メーカーの技術者が名を連ねた。その中に、30歳そこそこの場違いな若者がいた。当時、創業数年しか経っていないエイビット(東京都八王子市)の社長、檜山竹生である。

PHSは95年にサービス開始。そのキーデバイスを開発したのが、並み居る大手企業を技術で圧倒した、小さなベンチャー企業だった。エイビットの技術が、”日の丸技術”になった瞬間であった。

小さな技術集団のデビュー

エイビットは85年に設立。檜山が26歳の時であった。当時、檜山の夢に共鳴した同志は6名。それぞれが脱サラして、エイビットの立ち上げに加わった。
折しも85年は、NTTが民営化した「通信ビックバン」といわれた年。通信業界で、すさまじい変革が起こらんとしている時代での、小さな技術集団の船出であった。だが、檜山にはその乱世を勝ち残る自信があった。俺たちは10年後の世の中の未来予想図が描けている。そして、それを実現できる誰にも負けない技術がある。
檜山たちの最初のビックチャンスはすぐに訪れた。「通信ビックバン」を見据えた国鉄(現JR東日本)が通信事業に参入するため、84年に立ち上げた日本テレコム(現ソフトバンクテレコム)の基幹システム開発である。エイビットは、ある縁からその開発を手掛けることになった。創業したての企業には、あまりにも大きすぎるプロジェクト。早々に迎えた大きな試練だが、檜山は賭けに出た。この開発を圧倒的に成功させれば、今後の通信業界で優位に立てる。絶好のチャンスだった。

ABIT通常であれば2年かかる仕事を「俺たちは半年で完成させる」と宣言。自らハードルを高く上げた。勝算はあった。当時の檜山は、かつて米国に渡航したときに学んだ、交換機器の最先端の制御技術を持っていた。当然、日本ではほとんど知られていなかった。
そして、檜山たちは宣言どおり、半年で基幹システムを納品した。その半年間は、ほぼ不眠不休。血反吐を吐くような思いで完成させた。システムは無事稼働した。小さな技術集団、エイビットの名が通信業界に轟いた。そして檜山の狙い通り、この成功によってNTTやKDD(現KDDI)などの大手企業の開発を次々と手掛けるようになった。PHSの開発メンバー入りにも、つながったのだ。

通信オタクな少年時代

あえてトレンドと逆のことに挑戦して、結果を出す。エイビットは創業以来、この「逆張り」スタンスを貫いている。それは通信業界に浸かりきってきた檜山だからこそなせる技である。
檜山は1958年3月に東京都東久留米市で生まれた。小さいときから自他共に認める”通信オタク”。アマチュア無線が趣味な近所の大学生の家に入り浸り、小学4年生でアマチュア無線電信級の国家試験をパス。お金もないくせに一人で電車に乗って秋葉原まで行き、パーツ屋、ジャンク屋を巡っては店のおっちゃんから部品を恵んでもらい、真空管ラジオを組み立てていた。通信に触れることが生活の一部。そんな少年時代であった。”

picture2中学卒業後は私立育英高等専門学校(東京都杉並区・現サレジオ高専)に入学。型にはまった教育が面白くなく、在学中の75年に16歳で設計事務所を創業した。そして新しい通信技術を求めて、77年には在学のままアメリカ西海岸に拠点を移す。その地で学んだ新しい制御技術が、後の日本テレコムの基幹システム開発を始めとしたエイビット草創期の礎となった。帰国後の79年に育英高専を卒業。就職せずにそのまま設計事務所を続け、エイビットを創業した。
この業界で、自分以上にやっているヤツはいない。だからこそ、檜山には普通の人にはイメージできない通信業界の将来が見えるのだ。

エイビットの進化

「企業は5年後には別の会社になっていなければならない」と檜山は言う。こと通信業界のスピードはハンパではない。一つの成功にしがみついていると、あっという間に淘汰され、陳腐化が始まる。だから次の手を打ち続ける。
創業当初からそのことを意識していた檜山は、「5年ごとに進化しよう」をスローガンに掲げた。事実、エイビットは5年ごとに新展開を起こっている。

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90年に「日の丸技術」のPHS開発。95年からは通信試験装置の開発に着手した。携帯電話の基地局と移動端末の無線区間を計測するエイビット製の「エアプロトコルアナライザ」は、その後、世界標準になり、世界18ヵ国以上、60を越える顧客が愛用している。今や第4世代通信を主戦場として進化し続けている。
2000年からは半導体の独自開発に着手。今まで培ったPHS技術のチップ化に成功し、現在のウィルコムのモバイル機器の半導体は、大半がエイビット製である。05年からは、半導体を内蔵したモジュール部品を開発。そして、10年からはオリジナルデザインのPHS製品の開発に乗り出した。自社でデザイン、設計、製造、サポートまですべて対応する仕組みを構築。フリスクサイズの「ストラップフォン」、PHSでありながら家庭にある据え置き型のデザインをしたPHS電話機「イエデンワ」など、普通の発想では生まれないユニークな製品を次々と世に出した。
さらに、今まで「ステルス企業」としてあえて目立たないようにしていたスタンスを一転。オリジナルPHSにあわせて、エイビットとしてのブランディング化を推進している。
社屋を街中に移転させ、ショウルームを置き、徹底的に「見せる化」にこだわる。「ジョブスのように『世界』までは変えられないが、『世の中』を変えられる位置まできている」と檜山は言う。

未来をデザインする

檜山は現在、55歳。誰よりも長く通信業界で戦い続けてきた。「引退したい」という思いとは裏腹に、今も最前線にいる。
少年時代と同じように、やりたいことをやり続ける。思い立ったら突然海外出張をし、2泊3日で4ヵ国を回る。そして、通信の将来をイメージし、エイビットの次の5年の手を考える
未来の我々の生活はどうなっているのか?それを知りたければエイビットに行けばいい。そこで、未来がデザインされているのだから。

株式会社エイビット

業務内容 : 移動体通信用計測機器、通信用半導体の開発、製造、販売
住所 : 東京都八王子市南町3-10
TEL : 042-627-1900
FAX : 042-627-5221
代表取締役 : 檜山竹生
創業 : 1985年7月(会社設立)
従業員数 : 本社 70名
オフィシャルサイト : www.abit.co.jp
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